羽子板の歴史は古く、七世紀から宮中で行われていた「毬杖(ぎっちょう)遊び」が起源と言われています。
これは先がヘラのような形をした杖(毬杖)で毬を打ちあう遊びです。この杖が変化して羽子板になったものと考えられています。
江戸時代になると、大名の間で、年の暮れに女児の生まれた家に贈ることが慣例となり、女の子の厄除けという認識が醸成されていきました。
羽子板で突く羽の玉、あの黒くて硬い玉は「むくろじ」という大木の種です。この「むくろじ」は漢字で「無患子」と書きます。
すなわち、「子が患わ無い」という意味があります。また、羽子板の羽の飛ぶさまが虫を食べるトンボに似ているので、「子供が蚊に刺されないように」というおまじないとして始められたともいわれています。
羽子板は一般的に母方の実家から贈られていたものですが、今では、両家で折半するなど様々です。
羽子板は11月中旬あたりから店頭に並びはじめますので、12月初旬には飾りつけができるように購入するとよいでしょう。
羽子板は大抵の場合、ケースに収納されていますが、それ以外にもスタンドが用意されていたり、裏面にも絵が描かれていることからケースから完全に取り外して裏面も見えるように工夫されているものまで様々です。
設置場所などに決まりはありませんので、ご自身のセンスで羽子板をお飾り下さい。
羽子板は小正月(1月15日)過ぎにしまうのが一般的ですが、縁起物ですので、一年中飾っていても構いません。
羽子板を収納する場合は、晴れた乾燥した日を選びましょう。しまう際は、防虫剤は少なめにして乾燥した場所を選びましょう。
鎌倉時代に男の子の初正月の祝いとして贈られていた破魔弓は、小さな弓と矢を組み合わせたものでした。
弓は武士にとって重要なものでしたから、江戸時代には、武家の男児が成長して立派な武士として出世することを願い、手遊びに使えるような弓矢が贈られました。
その風習はやがて民間にも伝わり、現代に至っています。昔から、弓には魔を退(しりぞ)ける力があると信じられていました。
そこから、初正月に飾る弓を、魔を破る弓、すなわち破魔弓というようになったのです。
新春に、わらなどを丸めて作った的(ハマ)を転がして弓で矢を射る「ハマコロ」という遊びが、男の子たちの間で行われていた時代もありました。
その後、破魔弓の作りがしだいに豪華になっていくにつれ、そういう遊びも行われなくなり、やがて飾ることが主流になり、平穏な世の中と無事を祈る魔除けの道具として親しまれるようになりました。
破魔弓は一般的に母方の実家から贈られていたものですが、今では、両家で折半するなど様々です。
11月中旬あたりから破魔弓が店頭に並びはじめますので、12月初旬には飾りつけができるように購入するとよいでしょう。
旧年の風に当てることから、12月の大安などの良い日に飾ります。
破魔弓には様々な形状をしたケースが用意されています。お好みに合わせてお選び下さい。
破魔弓の飾り場所は、かつての主流は床の間でしたが、現在の住宅事情では、床の間がない場合も多いと思われます。
その場合は、魔除けの意味からお子様の寝室や皆様に見て頂ける場所がよいでしょう。
破魔弓は小正月(1月15日)過ぎにしまうのが一般的ですが、縁起物ですので、一年中飾っていても構いません。
破魔弓を収納する場合は、晴れた乾燥した日を選びましょう。しまう際は、防虫剤は少なめにして乾燥した場所を選びましょう。